山本達郎の“トータルホワイトニング確立への道のり”物語

 私は1986年に東京医科歯科大学歯学部を卒業しました。

私が卒業した当時は歯を白くする治療というとウォーキングブリーチといって生きている歯から神経を抜き取って、空いた歯の内部にホワイトニング薬剤を何回も何回も詰めてかなりな日数をかけて歯を白くするというやりかたが主流でした。このように歯を白くするということには大きな犠牲を強いられた時代でした。最近の歯科医療水準と比較すると、レジン(前歯に詰めるプラスチック)の質もそれを着ける接着材の能力もインプラントの骨との結合性も当時のものはみすぼらしく、今ではその当時の実体が残っているものは一つもありません。それほど時代とともに歯科医療の水準は格段と上がってきたのです。ホワイトニングも同様に、ホームホワイトニングや新世代オフィスホワイトニングの登場により、ウォーキングブリーチなどは例外的な治療となり、健康な歯を傷つけることなく白くしてゆくことが可能となり過去の歴史が次々と塗り替えられていくことになります。

 実は、私はそもそもホワイトニングの専門家ではありませんでした。私は歯学部を卒業と同時に大学歯学部付属病院で義歯(入歯)やクラウンを治療する補綴科という医局に入りました。そこでは、歯を失ってしまった患者さんに対して、無い歯の両端の歯を削ってブリッジを作ったり、歯の色を変えるためにセラミックの白い歯を被せたりすることを治療目標にしていた診療科でした。当時はインプラントの理論はまだ確立しておらず、インプラントは骨に埋めてもしばらくすると抜けてしまうものとされていて、現代のオステオインテグレーションというインプラント体と顎の骨とが結合するという理論をもった現在のインプラントは登場していませんでした。ですから、広範囲の歯が無い場合の最高の治療として、コーヌスクローネという固定性の高い精密義歯が評価されていました。私はそうしたコーヌスクローネを作れるようになりたいと考えて、大学病院に残ったのでした。

 数年間に及ぶ医局での治療と研究で大学で成果を残し、横浜の当地で地域医療の発展を期し開業したのが1989年の秋でした。医局では、コーヌスクローネやフルブリッジを多数治療していましたが、開業してみるとこのような莫大な治療費のかかる治療はそれほど多くなく、似たような精密治療を保険に取り入れようとすると、今度は周囲にいる保険担当歯科技工士の技術が伴わず精度の上がらない補綴物に日夜頭を痛めていました。同時に、歯を削ることによる経時的な歯への2次的な被害を考慮し、大学時代の診療姿勢を見直そうと思い始めました。そして、歯の治療を中心とした診療体制から歯の予防体制へシフトすることになり、それは予防を中心にした診療体制として現在まで受け継がれることになりました。

 さて、開業して10年ほどたったときのことでした。東京都目黒区の近藤隆一先生によるホワイトニングの講演会をお聞きし、そのインパクトに目から鱗が落ちたような衝撃を受けました。近藤隆一先生には、ホワイトニングとの素晴らしい出会いを作っていただいたことに今でも深く感謝しております。その後、講演を通じて近藤先生の勉強会のメンバーとなってからは、教わった通りホームホワイトニングを患者様に勧めるようになって、白くなって満足された患者様の笑顔を見て、「やってよかった」と思うようになりました。

 ところが、しばらくするとホームホワイトニングを始めたが「3か月経っても4カ月経っても歯が白くならない!」とおっしゃる患者様が出てきました。あるいは、当時オフィスホワイトニングを取り入れて施術も開始していましたが、1回のオフィスホワイトニングで驚くほど白くなる方とあまり白くならない方が出てきてしまい、ホワイトニングの個人差の大きさに愕然とすると同時に、術前にホワイトニングの経過と獲得できる白さを予言する診断の必要性を強く感じるようになりました。

 ところが、当時世界的に見てもホワイトニングに関して診査項目、診断のマニュアル、予知性のガイダンス、そして何よりどこまで歯を白くすればよいのか?という根本的な約束事は全く存在していませんでした。ホワイトニング本国においても「ホワイトニングはコスメだから」という言い方をし、日本の指導的立場にある方たちもそれを盲目的に受け入れていました。しかも米国の著名な臨床医は「ホワイトニングは川下の治療である」つまり、審美歯科を導入するため - つまり、歯はホワイトニングで適当に白くし、本当に綺麗に魅せるためには、利益の上がるセラミック治療へ導入するという - 患者様への撒き餌にするためにホワイトニングを利用するというかなりえげつない発想でした。

 当時の審美歯科医を自称する輩は、そういう下心でやっていたのでホワイトニングは歯科医師が治療しているけれども、ちっとも素人の美容の世界との違いが無かったのです。そんな背景だったのに、患者様からクレームが来る・・・(何もわからない 誰も教えてくれない どうしよう!)内心困り果てておりました。「診断が大切だ!」と言われていても、どう診断するのかは先輩たちは口をつぐんだままでした。本当に誰も、ホワイトニングの診断に関して知らない状態だったのです。

 

・・・そこでまず私が始めたのは、患者様がどのくらいの期間でホワイトニング治療を終了することができるのか?に対する答えを作ることでした。当時、既に多数の患者様のホワイトニング治療を経験してこともあって、私もスタッフも「ホワイトニングして成功した歯の白さのイメージ」は頭の中に刻み込まれていたので、そうした歯に導くための治療前の歯の状態を一生懸命調べました。私は、前述のように補綴専門医なのでセラミックの築盛などに関し専門だったことから、ホワイトニング前の歯の構造とホワイトニングの原理との関係に着目し「白くなりやすい歯となりにくい歯」を見分けるための診断方法を、苦労の末に遂に導くことができました。現在は、同じように困っていると思われる歯科医師のために、これを「生活歯ホワイトニング診断法」と名付けて各地の講演会で歯科界に啓蒙活動をしているところです。さらに、ホワイトニングのゴールをわかりやすい形で提示するにあたりメルクマールとなるものを考えました。ここでは、一般審美あるいはエステ的な配慮を加えて「目(白目)と歯の色のバランス」に注目したところ、ホームホワイトニング生みの親とされる米国歯科医師V・ヘイウッド先生も同時期に同じことを指摘していたことには大変驚きました。

要するに審美の黄金分割のように調和のとれた審美というものには、単に歯だけとかということではなく「顔の中の歯の色は?」という視点で考えなければならなかったのです。

結論にするとごく簡単なのですが、臨床経験を通じて私にこうした機会を与えてくれた数多くの患者様にこの場をお借りして感謝いっぱいの気持ちをお伝えしたいです。

さらに、ホワイトニング治療の期間短縮のためにはどうすればよいか?を考えました。

これも臨床のヒントはふだん治療している患者様から教わることができました。というのは、その当時私の診療所で大活躍していたZOOM(ディスカスデンタル社オフィスホワイトニング機器)によってホワイトニングした患者様のために、フォローアップとして使用していたホームホワイトニングが、ホームホワイトニングを単独で始めた患者様よりも猛スピードで白くなってゆく臨床体験をしていました。そして私は「これだ!」と確信しました。

同時に、オフィスホワイトニング機器の幾つかあるメーカー間の能力に違いがあることを考察することで、根本的な違いである光波長の違いという問題に突き当たりこれも解明することができました。

サイエンスの面からは、ホワイトニング作用を生じる過酸化水素から分解されるフリーラジカルのプラス面とマイナス面を考慮し、丹羽先生(土佐清水病院)の論文などからホワイトニング施術に伴う治療の安全面への配慮というまだ誰も手を付けたことのない領域に入っていきました。これまで正面からフリーラジカルを論じた論文は歯科界では皆無でしたが、この問題を避けていてはいつまでたってもホワイトニング治療の怪しい部分を払拭することはできません。本来、体に対して害悪の疑いある物質を使用することは論理的には「薬剤の扱い方」と同じになります。薬は使い方によっては「毒にも薬にもなる」という話を地でいくのと全く同じです。ホワイトニング剤は化粧品ではなく、立派な診療項目であり、ホワイトニングするに当たっては診査と診断、ゴールの明示と健康面への配慮をした高い診断力を要するものであることがわかりました。ですから、さきほど記載したような「川下の治療」みたいなことを言うことが如何に無責任で医療者のモラルを欠いているかがよくわかります。

ホワイトニングに衝撃を受け、ホワイトニングをした患者様の笑顔に励まされ、ホワイトニングの臨床に躓きながら、なんとか患者様のためにしっかりしたホワイトニング治療をしたい!一念でここまで辿りついた気がします。ホワイトニング業界は、今でも効き目が無いのにさも歯が白くなります、みたいな広告が目を引くことがありますが・・・そうしたまやかしもいつか無くなるでしょう。

私の10年に渡る苦節を通して、歯科医師としてのプライドをかけ胸を張って言えます。 『トータルホワイトニングは本物だ!』